そのうちに

日々の考え事。

21卒が就活で100社落ちた話2

2020年1月末

初の本選考の面接がありました。場所は銀座。
1時間も余裕を持って家を出たというのに、まさかの迷子になりギリギリの時間で飛び込むことになりました。
道が全部同じに見える…。

もしこれから就活するって方がいらっしゃいましたら、ぜひ会場付近を事前に確認することをおすすめします。あと、位置情報の向いてる方向は当てにならないです。

接客業を志していたくせに私は大変なコミュ障であったために面接はボロボロでした。
なんとか沈黙は避けられましたが、頭が真っ白で何話したか全然分からない状態。永遠に黙ってしまった練習よりはマシだったと思います()
予想通り、お祈りメールが届きました。
これはもう仕方がない。練習が足りませんでした。

1月~2月にかけては業界別の合説や企業の説明会が集中していたため選考は少なめでした。
2月には推しの主演舞台があり、午後の説明会の後に会場まで走りました。推しの舞台にリクルートスーツで参加したのは私くらいじゃないでしょうか…。フォロワーさんにもご挨拶してしまった…。

慣れない服装で慣れない場所に行って知らない人に自分をアピールするというのはなかなかストレスで、常に推しの存在に助けられていた時期でした。
もう就活はほぼ推しのお陰で生き延びたと言っても過言ではありません。

2020年2月末
そろそろコロナの危機が迫ってきた頃です。ここで私は思いました。
「あれっ??私の志望業界ラインナップ、だいぶ危ないのでは????」

2020年3月~
名実ともに就活解禁です。四季報と業界地図を読みながら片っ端から説明会へ。少しでも興味を持てたらエントリー。
接客業といえそうならとりあえずエントリーしましたし、営業職も事務職もエントリーしました。業界もメーカーや建設、金融、とりあえず文学部卒の自分でも滑り込めるんじゃないかと思えるところは見ていきました。

ここからが地獄の本番でした。

毎日5~6社ほど調べ、3~4社ほどのESを書きます。丸一日かけて1社も仕上がらないこともありました。同じ業界内の企業をいくつも見て、どの企業も似たようなことを言っているとどれがどれだったか分からなくなってきます。

ESを出します。落ちます。
ESが通っても面接で落ちます。上手く話せたと思っても落ちることがありますし、話せなかった時には通ることもあります。大抵は落ちますが。
面接は毎回振り返りをして

何を質問されたか?
どんな質問で詰まったか?
何がウケたか?
ウケが悪かったのは何か?

等々、反省していきます。企業研究ノートは14冊になりました。

ひたすら自問自答して、机に向かい続けました。
緊急事態宣言で人に会うこともできませんでした。友人だってきっと忙しいでしょうから、電話をするなんて迷惑だと思っていました。
親は心配してくれますが、アドバイス内容が30年は古かったです。もう黙っていてほしいとすら思いました。
自分で自分を追い詰めて、「全然内定出ないし、このまま就職出来ずに社会のお荷物になるなら死のう」と何度も思いました。当時はそれしか解決策が思い付かなかったんです。

2020年6月末
この時点で内定はゼロ。
ある不動産の企業の営業事務の面接を受けました。
その頃には何度も反省を繰り返して、私は企業ウケの良さそうな話し方に馴れてきていました。少しずつ緊張でガチガチになることも減っていました。
人事の方はこう言いました。

「おもちまるさんがやりたいことって営業事務じゃないですよね?お客様と直接接する営業の方が向いてると思います。もしかしてブライダルとかホテルとかの業界を目指されてたんじゃないですか?」

それまでスラスラと話せていた志望動機が何も話せなくなりました。
友人に言わせると私は分かりやすい人間だそうです。なので自分では上手く言えたと思ってもバレバレだったんでしょうね。

人事の方からは、営業事務は本当にやりたいことなのか、妥協していないか等々確認されました。
私は涙目で一言「だって内定が出ないんです…」と絞り出すように言いました。甘ったれていたと思いますが、もうどうせ次の面接には進めないからと思ってヤケクソでした。

人事の方からは最後に「諦めないでほしい」と言われました。
新卒で志望業界で働けなくても、次に繋がる場所で働いてほしいと。

今ではその言葉に感謝しています。当時も、こんなに苦しんでいる就活もステップの1つだと思えれば少しは気が楽になりました。

それに、お客様と接する方が向いていると言ってもらえたことも自信になりました。
それまで面接は常に自分の駄目なところを指摘されるものだと思っていました。減点されて、価値がないという烙印を捺されるように思っていました。
だから、接客に向いていると、そう言ってくれる人がこの世界にいることが分かって本当に嬉しかったんです。

自分を出して、それで評価してくれる企業に就職しようとこの時思えました。
自分だって企業を選ぶ側なんだと。

それでやっと、肩の荷が降りた気がしました。

続く

21卒が就活で100社落ちた話

お久しぶりです。
ペンネームを変えました。ちゃんとした名前っぽい感じになりました。これでブロガーらしさが出てきましたね(嘘つけ)

表題の通り、21卒が就活をして100社落ちた時の話をしようと思います。
入社から半年経って「働くってこんな感じかあ」と思えるようになってきたので振り返りになります。
元々の志望業界はブライダル・ホテル・航空。コロナ流行という最大の不運に見舞われた就活でした。落ちた企業数は正確には104社。内定は2社でした。どちらも志望業界ではありませんでしたがそのうちの1つに入社しました。

正直死にたい時もありましたがなんとか生き延びて働いています。内定が無いとか、志望業界じゃないとか、いろんな悩みがあるかとは思いますが、気楽に読んで「アホだな~」って思ってもらえれば幸いです。

就活は地獄だけどたまに仏も現れるので、これから就活もしくは今就活中の方は希望を持ってほしいです。

2019年9月
リクルートスーツを買いました。パンツスーツで就活がしたかったのに低身長かつ脚が太かったのでサイズがなく、泣く泣くスカートで就活を開始しました。

最初に企業説明に行ったのは大手ホテル。豪華絢爛でテンション爆上がりでした。なんか良い匂いすらしたような気がします。
まだ残暑が厳しい時期でスーツめちゃめちゃ暑かったです。Tシャツジーパンで許してくれ。
なお後になってここは受けるのをやめました。ES出す頃にはコロナがやばかったので…。

2019年12月24日
世間はクリスマス一色でしたが、私はブライダル業界の合説へ。素敵なホテルのホールで、家族連れやカップルを横目にリクルートスーツで企業を廻りました。いや鬼か???なんでこの日に開催した???

リクルートスーツは真冬の屋外には寒すぎるが、室内には暑すぎます。本当にリクルートスーツは廃止してほしい。パンプスに馴れられず靴擦れで踵から血を滲ませながら色んな合説に行ってました。

クリスマスを謳歌することもできない自分を惨めに思いながらヤケクソでベトナム料理屋へ。そこでスマホを開くとこんな情報が。

>推しの主演舞台決定<

靴擦れの痛みも惨めさも忘れてダッシュで帰宅。ありえない位嬉しかったので、舞台までは頑張って就活しようと思ったのを覚えています。


2019年秋~冬にかけての合説は私服OKなところもあったので2018年冬に推しのイベントに行った時の服を着て行ったりもしてました。
いわゆる戦闘服です。
私の経験だと就活は気持ちで負けたらほぼ負け確定なので、なんでもいいので験担ぎとかした方が良いです。

2020年の就活はまた後日書こうと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございました。

趣味の話

こんにちは。

最近は雨が降ることが多いですね。

私は雨音が好きなのですが、外を歩くとなるとやはり不便だなと思います。それでも軽くて柔らかい素材の、気の合う雨靴があるので心強いです。それに青色の素敵な傘もあります。

私は湿気があるとすぐに疲れてしまうのでそこだけは問題ですね。

 

さて、今日は最近の私の悩みについて書こうと思います。この春就職しまして、ちっとも慣れない仕事も悩みと言えば悩みなのですが、目下、頭を抱えていることは、「今までのように趣味を楽しめなくなってしまった」ということです。

この状態は昨年の9月下旬からじわじわと進んできて、最近にいたっては大好きな舞台のキャラビジュアルが発表されたというのにちっとも喜べなかったのです。無感動でした。それでさすがにまずいと思いました。自分に何かが起きている。

なのでこの文章は現在の自分と向き合うためのものです。もしかしたら来月には元気になって笑い飛ばしているのかもしれません。そうだといいな、と思います。来月は大好きな舞台の公演があるので、どうしても心から楽しみたいのです。

 

私の幼少期は親が厳しく、アニメや漫画・ゲームは思うように遊べなかったのですが、かいけつゾロリの大ファンで、戦隊とライダーが大好きな子どもでした。物心ついたころからずっと絵を描いており、上手とも下手とも言われましたが、とにかく描いていました。辛い時ほど空想と絵の世界に浸っていました。絵は私の心の拠り所でした。

中学高校では趣味の合う友達が増え、少しずつやってみたかったゲームや新しいコンテンツに触れるようになり私の趣味の世界は広がりました。SNSもとても楽しい時期でした。これでもかというほどの「好き!!!」を詰め込みながら描く絵は最高に楽しかったです。これが大学半ば頃まで続きます。

 

今思えば、幼少期はやりたいことを我慢する生活でした。寝床も食事も何一つ不自由なく育ててもらっていましたが色々あって、いつも大人の、周囲の顔色を窺っていました。子育て本を読んで、大人の子どもに対するイメージや要望に合わせて「少しばかり良い子」になろうと必死でした。

それが今や、とても満たされた生活をしているのです。大切で大好きな友人たちがいますし、就職したことで経済的に自立できるようになりました。緊張はしますが、なんとか自分の言いたいことも言葉にできています。しんどい時は一人で食事する自由もあります。

HSPの本を読み、多分自分はこれなんじゃないかと思い対処法を試したら疲れた後の回復がとても早くなりました。耳栓とノイズキャンセリングイヤホンは手放せません。

そう、私は元気なのです。もしかしたらこれまでの人生で最も健康なのかもしれません。それなのに趣味を楽しめていないのです。どうしてなんでしょう。分かりません。梅雨だからなんだか湿っぽい気持ちになっているのでしょうか。

 

コロナで思うように出かけられない日々が続いています。元々インドアな私ですが、舞台一つ、映画一つ観るのにも神経をすり減らす生活には疲れ切っているのかもしれません。こんなに疲れるくらいならもう観に行こうと思わないほうが良いと、思ってしまっているのかも。それに加えて就職後の疲れが出てしまっているのかもしれませんね。

 

考えていることをつらつらと並べていたらこんな文章になってしまいました。なんだか泣きそうです。それと書いてるうちに、なんだか美味しい紅茶が飲みたくなってきました。とりあえずお茶を入れてシューアイスでも食べようかな。

 

それではまた。次回の記事を書いてる頃には元気な私でいたいですね。

お気に入りの漫画の話

こんにちは。

前回の投稿から少し経ちましたね。お久しぶりです。

 

今日は国際女性デーなので、このブログを始めるときにいつか必ず書こうと思っていた「私と性別の話」を書こう

・・・と思ったのですが、書きはじめたら想像以上にダメージを受けてしまい断念しました。書こうと思っていたのは主に小学生の頃の話なのですが、文章にするために詳細を思い出そうとすると涙があふれてしまいました。どうにもまだ昇華しきれていないようです。

流れとしては

女のくせに~的なことを言われまくり自分の女性性に劣等感とコンプレックスを感じ続けた小学生時代と、昨年就活していた時に面接担当者から言われた差別発言の話を書いて問題提起しつつ、それでも今立っていられる私を作った友人たちや大好きな本たちの紹介がしたかったのですが書き上げられず・・・無念です。いずれまた。

 

せっかくなので今日は漫画を一つ紹介させてください。

大久保圭先生の『アルテ』です。この物語は中世イタリアの貴族階級の少女アルテが自分の力で生きていくために実家を飛び出して画家を目指す物語です。アルテは「女に画家なんてできるはずがない」という周囲の言葉にもめげず、多くの人と出会い、理解者を得、実力をつけていきます。私は単行本7巻35話に出てくる台詞が大好きなのでそれを紹介しますね。

あらすじとしては、アルテに「画家だから」ではなく「貴族出身の女性として」の仕事が舞い込んできます。貴族出身の女性であることが羨ましいとまで言われたアルテは、それまで貴族出身の女性であることの逆風と戦いながら仕事をしてきた経験から、「これでいいのか?」と思い悩みます。そんな時にアルテに伝えられた言葉がこちらです。

 

「あなたの性別…、生まれた場所、育った環境、全てを含めてあなたの才能だ」

「私を羨ましがらせるその才能を、どうか大事にしてください」

 

女性性に対して長い間コンプレックスを抱いていた私にはハッとさせられた言葉でした。なぜなら私を構成する要素の一つに女性性があるのであって、それは本来「性別がこうだから」と私自身を振り回すものではないと気づけたからです。

女性ゆえに(男性ゆえに)得手不得手があるというのならそれもまた個性。特徴の一つにすぎません。特徴をどう生かすかは自分次第。男だから〇〇しなくてはならない、なんてことも無ければ、女だから〇〇してはならない、なんてこともないわけです。

特徴はそこにあるだけで、その扱いを決めているのは人間であり社会であると思います。つまり意識することで変えられるものは沢山あるということ。

どうかそこにある特徴ゆえに誰かを責めたり、自分を嫌ったりすることがなくなりますように。そんなことを思う今日でした。

 

読んでくださってありがとうございました。